2011年4月27日水曜日

【被災した宮城県で見えてきたこと】石巻リポート②

少し遅い書き込みですが・・・

●生活、食事環境
4月12日の訪問より約一週間が経った。汚泥の匂いは少し弱くなり、道路の幅も広がった。道路脇のがれきはへていないが、川や道路に点々と散乱していた、がれき類やゴミはかなり少なくなった。大量のボランティアが活動に従事したからだろうか・・・
今回も福祉避難所、ひたかみ園にお邪魔した。今回は埼玉から生野菜と生魚を食べたいという、リクエストにお応えし、海なし県から、マグロや甘えびを持参し食していただいた。皆一様に「美味しい!」「被災してから初めての刺身だ」と大変に喜んでいただいた。埼玉を朝4時に出発し、この食事環境を提供してくれた。ともいき会の理事長、事務長、栄養士、介護職等が6名で自主的にボランティアに参加してくれた方々に感謝。避難者は、おにぎり、菓子パン、缶詰の食事に確実に飽きている。当然だと思う。この食事環境が早く改善することを望む。
●生活ニーズとさまざまな混乱
避難所で生活する人も約1万人程度まで減少したが、以前として住宅が確保できず厳しい状況に変わりはない。しかし、確実に人々の生活は改善されており、「命のニーズ」から「生活ニーズ」へ大きく変わりつつある。地元関係者は、どこかの時点で一気に吹き出す予感も感じ始めている。
年金支給日や義援金の支給などもあり、銀行はごった返している。しかし、障害のある方はなかなか、あの混乱の中では現金の引き出しもままならない。後見人や保佐人も被災し、その状況にさらに拍車がかかり、混乱が上積みしていた。生活ニーズが吹き出す、一種の予兆か・・・
●サービス提供、相談支援体制再構築ための派遣方法
5月より、全国各地より、被災市区に相談支援専門員を派遣し、石巻地区の相談支援体制再構築の支援を行なうため、受入れ等の打ち合わせを行なった。
具体的には、石巻地区の相談支援専門員8名、ひとりにひとりずつ補助的な活動をし支える体制を作る。各地域より派遣される相談員は、5泊6日でワンクール。3チーム程を作り、ローテーションで廻していく。人の出入りを最小限に抑え、1回の派遣で得た経験を2回目、3回目に活かしていくことがねらいだ。
具体的な支援には、以下のような活動を連携して行なう。
①在宅障害者への戸別訪問によるニーズ調査
②サービス提供事業所の復旧状態の確認
③福祉サービスを再構築する人や新規利用の人たちに対する、サービスコーディネート
④保健師や介護支援専門員との連携強化、拡大のための仕組みづくり(自立支援協議会の再興も視野に入れる)
●自治体の温度差
石巻地区の東松島市と石巻市別々に、今後の再構築、復興へ向けての話し合いを持った。関係する相談支援事業所にも同席いただいた。委託の状況は、石巻市、東松島市、女川町と広域で委託されている事業所もあれば、ひとつの市からだけの委託事業所もある。自立支援協議会は2市1町合同であったが、震災前の最後の会合では、新年度は自立支援協議会2市1町で行なうことは辞め、各々にと考えていたようだ。空中分解寸前だったのだろう。そのため、自治体の考え方にもかなりの開きがある。しかし、住民の生活圏は確実に石巻圈域の中で完結しており、圈域単位で復興していくことが有用だ。
●福祉避難所へ避難できなかった障がいのある人
上記の話し合いの際に、東松島市の相談支援専門員より、苦情が出た。避難指示があった際に、高齢者と障がいのある親子の避難を、ある福祉避難所にお願いしたところ、介護保険対象者は避難させるが、障害のある人は入れられないと拒否をされていたようである。人々の生活は家族、世帯がベース。被災したからといって、その世帯環境を大きく変えるべきではなく、このような混乱が起きていたことに胸が痛む。今後東松島市は、このような悲惨な誤解が起こらないように、教訓として、再発防止に取組まなければならない。もしかすると、他の地域でも起こっていたことかもしれないので、想像すると冷や汗がでる。

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