2011年4月16日土曜日

【被災した宮城県で見えてきたこと】石巻リポート①

●生活環境
家の原型もなく、道路もどこにあるのかがわからない状態。ヘドロのにおいが鼻につく。その中で、自衛隊の隊員を中心として、道路の確保やがれき、砂、ヘドロの除去が行われている。この街の人はどこに行ってしまったのか。
しばらく進むと被災していない地区にやっとたどり着く。銀行やスーパーに入る人が渋滞し、被災した人たちがなんとか生活していることに安堵を感じた。
石巻市では3月15日現在で、人口の約7割に当たる11万1000人余りが市内179カ所の避難所に避難していた。3月31日現在では約3万人程度に減少し、今もその数は毎日減少している。
●相談支援センター
石巻地域総合生活支援センター(ひたかみ園)の相談支援専門員はこの一ヶ月登録者の安否確認と個別の相談対応に追われた。179カ所の避難所のどこに誰が避難したのかがまったくつかめず、電話も通じない中で必死の安否確認だった。そこで聞かれた声は、命のニーズ以外はほとんど聞こえてこなかった。相談支援専門員の専門性では、命のニーズに応えるすべをほとんど持ち合わせていない。なにもできないジレンマが続いた。
●今日現在のニーズ
昨日現在(4月12日)、住宅確保のニーズは高いのだが、障害を抱えた人たちが暮らせる場所を探すことは至難の業だ。地元の不動産業者には物件がなく、仮設住宅も高倍率。運良く当選しても、仮設住宅に重度の障害者が住めるのかも未知数。
一方、運良く自宅が残っていたり、賃貸住宅に入れた人は、生活費の心配(年金支給日には、銀行が混み合うことが予想される)やショートステイなどの利用希望が少しずつ表出されはじめ、命のニーズから生活ニーズに変化しつつある人もいる。相談支援センターに問い合わせが少しずつ増えているが、サービス提供事業所が通常時に比べ激減しているし、サービス提供の状態がどこまで復旧しているのかは、全く情報がない中で対応に苦慮していた。
●地域アセスメント
早急な地域アセスメントが必要だが、携帯電話がつながりにくく、道路もまだ回復していないので、渋滞や浸水など阻害要因ばかりが目につき、モチベーションが下がった。通所系のサービスも少しずつ復旧してきたが、家の玄関まで車が入れない地域も多く、アクセスできないがために利用できない人々も多くいた。
サービス提供事業所があるのかないのか、復旧状態はどの程度か調査し、サービス提供の基盤づくりは早急に必要である。石巻地区のサービス管理責任者と相談支援専門員が集まり、情報交換の場を作ることがはじめの一歩となるように思えた。
●福祉サービス提供体制の再構築
石巻市の相談支援専門員は全部で8名。災害派遣を行い、ひとりにひとりずつ張り付き、記録等の業務補助を行い情報共有の体制を作れば、その活動は大きく前進するはずだ。各地域より派遣される相談員は、5泊6日でワンクール。3チーム程を作り、ローテーションで廻していきたい。人の出入りを最小限に抑えるためだ。
石巻での具体的な支援には、16名・8班のチームを作り、以下のような活動を連携して行なう。
①在宅障害者への戸別訪問によるニーズ調査
②サービス提供事業所の復旧状態の確認
③福祉サービス再構築や新規利用の人たちに対するサービスコーディネート
④保健師や介護支援専門員との連携強化、拡大のための仕組みづくり
●最終的には石巻に基幹センターを
現在、石巻地区には相談支援事業所が3事業所ある。石巻市、東松島市、女川町と広域で委託されている事業所もあれば、ひとつの市からだけの委託事業所もある。自立支援協議会は2市1町合同なのに相談支援はバラバラ。横の連携は取れて、顔の見える関係もできているものの、相談支援事業の中身はそれぞれ温度差があり、その差を埋める必要がある。今回の震災でサービス提供事業所も激減したので、基礎自治体の枠を超えた連携を必要とするため、基幹センターが最終的には必要となるだろう。石巻市役所の中に場所だけはすでに、確保されている。
●その他
最後にひとつ。石巻の復旧のためにがんばっている石巻地地元の福祉関係者も一方では、自宅や家族が被災を受けている被災者だ。大変な状況の中で職務に当たっている現状を考えると胸が痛むし、かける言葉もない。
しかし、地元関係者の協力がなければ、どんな復興支援も始まっていかないし、有効ではない。そのことは胸に置きとめ活動をして欲しい。

0 件のコメント:

Google